第15章:岩を読む — PETROS(岩石分類AI)の開発と実践
足元の岩が,あなたの安全を左右する
登山中,足元の岩に注意を払ったことはありますか?
多くの登山者は「滑りやすそうな岩」を避ける程度で,その岩が何者であるかは気にしません.しかし,岩の種類によって摩擦係数がまるで違うのです.
乾いた花崗岩の上では登山靴はしっかりグリップしますが,濡れた凝灰岩の上では氷の上を歩いているかのように滑ります.この違いは偶然ではなく,岩石の鉱物組成と硬度から物理的に説明できます.
Round 10(伊豆半島GW3日間)で,私はこの「岩と安全」の関係を身をもって体験しました.
そしてその経験から生まれたのが,PETROS(岩石分類AI)です.
PETROSとは——スマホで岩を撮ると名前がわかる
PETROS(ペトロス)は,スマートフォンのカメラで岩を撮影すると,その岩の種類を自動で分類してくれるAIアプリです.
補足:PETROSの仕組み
PETROSの中核は,MobileNetV2という画像認識モデルです.Googleが開発した軽量な深層学習モデルで,スマートフォンでもリアルタイムに動作します.
7種類の岩石を分類できます:
岩種 モース硬度 濡れた時の摩擦 代表的な山 花崗岩 6-7 ◎ 高い 甲斐駒ヶ岳,白馬 安山岩 5-6 ○ やや高い 富士山,箱根 玄武岩 5-6 ○ やや高い 大島,伊豆 凝灰岩 2-4 ✗ 非常に低い 城ヶ崎海岸 砂岩 5-6 △ 中程度 秩父,奥多摩 石灰岩 3 ✗ 低い 武甲山,秋吉台 チャート 7 ◎ 高い 秩父 カメラで岩を撮る → 0.3秒で分類結果が表示される → 岩種に応じた「滑りやすさ」の注意情報が出る.
登山中に「この岩は何だろう?」と思ったら,スマホをかざすだけ.名前がわかると,「だからここは滑るのか」と理解できます.
伊豆での実体験——凝灰岩の恐怖
Round 10のDay 2,城ヶ崎海岸のクライミングスポットを歩いた時のことです.
海岸沿いの岩場は凝灰岩が主体.モース硬度2〜4の柔らかい岩で,乾いていれば問題ないのですが,潮風と波しぶきで常に湿っています.
その濡れた凝灰岩の上を歩いた瞬間——ツルッ.
登山靴のビブラムソールが,まるで機能しません.岩の表面にある微細な凹凸が,凝灰岩の柔らかさでは十分なエッジを形成せず,水膜が摩擦を激減させます.
補足:なぜ凝灰岩は濡れると危険か——摩擦の物理学
摩擦力は「表面の凹凸(アスペリティ)」によって生まれます.硬い花崗岩(モース6-7)は,石英やフェルドスパーの結晶が表面に微細な凹凸を作り,靴底のゴムがその凹凸に噛み合います.
凝灰岩(モース2-4)は火山灰が固まった岩で,組織が均質で柔らかい.凹凸が少なく,水が薄い膜を形成しやすい.水膜が靴底と岩の間の「潤滑剤」となり,摩擦係数が激減するのです.
花崗岩(乾燥): μ ≈ 0.7〜0.8 花崗岩(濡れ): μ ≈ 0.5〜0.6 凝灰岩(乾燥): μ ≈ 0.5 凝灰岩(濡れ): μ ≈ 0.2〜0.3 ← 氷に近い!
登山計画を立てるとき,「コースの岩質は何か」を事前に調べることが安全対策の第一歩です.
AIで名前を知り,目で意味を読む
PETROSを作った本当の目的は,「岩の名前を当てる」ことではありません.
「岩を見る目」を養うことです.
岩の名前を知ると,その岩がどうやって生まれたかがわかる.火山灰が積もってできた凝灰岩は,水が染み込みやすい.マグマがゆっくり冷えた花崗岩は,結晶が大きくて硬い.
名前 → 成因 → 性質 → 歩き方への応用
これが「岩を読む」ということです.
登山道で足元の岩を見たとき,「あ,これは凝灰岩だから濡れてると滑る」「ここは花崗岩だからフリクションが効く」と判断できるようになれば,それだけで安全マージンが上がります.
AIは入口です.最終的には,自分の目で読めるようになることが目標です.
<本章の参考文献>
- Sandler, M., et al. (2018). MobileNetV2: Inverted residuals and linear bottlenecks. Proceedings of the IEEE Conference on Computer Vision and Pattern Recognition, 4510–4520.
- Persson, B. N. J. (2000). Sliding Friction: Physical Principles and Applications (2nd ed.). Springer.
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