脈拍と標高

第7章:3段階崩壊 — 外秩父七峰37kmの限界構造


史上最長の37km——そして同じ6.5時間で壊れた

2026年4月12日,Round 7.外秩父七峰縦走ハイキングコース.

距離37.0km,累積登り2,788m,累積下り2,701m,行動時間11.6時間.距離も累積標高差もこれまでで最大です.

前章のRound 6(筑波連山)では,泥濘でZone 4 = 20.8%となり6.5時間で崩壊しました.「泥のせいか,それとも自分のペースのせいか?」——その答えを出すための山行です.

条件は:路面は乾燥,天候は晴れ.泥はゼロ.

結果——

指標 R6(筑波)❌ R7(外秩父)❌
路面 泥濘 乾燥 真逆
Zone 4 20.8% 20.0% ほぼ同じ
ドリフト率 +28.6% +30.9% ほぼ同じ
崩壊時刻 6.5h 6.5h 同じ!

路面が泥から乾燥に変わっても,Zone 4がほぼ同じ20%で,同じ6.5時間で崩壊した

これで因果関係が確定しました.崩壊の原因は泥ではなく,Zone 4 > 20%というオーバーペースそのものです.


3段階崩壊のメカニズム

Round 7では,崩壊が一度に起きるのではなく,3つの段階を経て進行することが明確に記録されました.

xychart-beta
    title "R7 外秩父七峰 — 3段階崩壊の速度推移"
    x-axis ["P1 (0-3.5h)", "P2 (3.5-6.5h)", "P3 (6.5-8.5h)", "P4 (8.5-11.6h)"]
    y-axis "速度 (km/h)" 1.0 --> 4.5
    bar [3.56, 2.67, 3.27, 2.14]

第一崩壊(6.5h)——エンジン警告灯

Phase 1(0-3.5h)は3.56km/hの快調なペース.しかし6.5時間を過ぎると速度が2.67km/hに急落(-25%).心拍は上がり,速度は落ちる——前章で見た「心臓は頑張っているのに体が進まない」パターンです.

補足:第一崩壊のメカニズム——筋グリコーゲンの閾値

Zone 4 = 20%で6.5時間歩き続けると,筋グリコーゲンの備蓄が約70%消費されます.

ここで重要なのは,グリコーゲンは「ゼロになるまで使える」わけではないということ.残量が30%を切ると,体は自動的に出力を制限し始めます1

これはガソリンメーターが1/4を切ったら車のコンピュータが出力を絞るような安全装置です.体の中央司令部(脳)が「このままでは燃料切れになる」と判断し,筋肉への指令を弱めるのです.

意志の力で押し切ろうとしても,体が言うことを聞かない——登山で「足が動かない」と感じるときの多くは,この安全装置が作動した結果です.

偽りの第二風(8.5h)——地形のボーナス

Phase 3(6.5-8.5h)で,速度が3.27km/hに回復しています.「お,持ち直した!」と感じた瞬間でした.

しかしこれは,前章で紹介した「偽りの回復」の再現です.

検証方法はシンプル——同じ勾配帯での前半と後半の速度を比較します.

勾配帯 Phase 1(前半)→ Phase 3(回復?) 比率
緩斜面(0-10%) 4.1 → 3.6 0.88x ← 前半より遅い!
中斜面(10-20%) 3.2 → 2.8 0.89x ← 前半より遅い!
急斜面(20%+) 2.4 → 2.1 0.89x ← 前半より遅い!

全ての勾配帯で,後半は前半の0.89倍にとどまっています.速度が回復したように見えたのは,地形の勾配σが低い区間(緩やかな尾根道)に入っただけでした.

体は何も回復していない.地形が楽になったから速度が上がっただけ.

最終崩壊(10.5h)——HR 119.8の意味

Phase 4(8.5-11.6h)で,速度は2.14km/hまで落ちました.Phase 1の3.56km/hと比べて-40%の崩壊です.

そして,ここで異様なデータが出ています.心拍数が119.8 bpmまで低下

普通,「がんばっているのに速度が出ない」場合は心拍が上がるはずです(第6章のR6がそうでした).しかしR7の最終崩壊では,心拍自体が下がっている.

補足:HR低下+速度低下が意味すること

心拍が下がり,同時に速度も下がる——これは「出力したくてもできない」状態です.

車にたとえると,アクセルを踏んでいるのにエンジンが吹けない状態.燃料が尽きかけて,エンジンがストールしかけている.

生理学的には,筋グリコーゲンが枯渇に近づき,高強度の筋収縮ができなくなった状態です.心臓はグリコーゲンではなく脂肪酸も使えるため,心拍数を上げることはできますが,骨格筋が応答しない.結果として,心臓が「空回り」する代わりに,出力全体が絞られて心拍自体が下がるのです2

これがR6の崩壊パターン(HR上昇+速度低下)と違う理由です.R6はまだ「無理をすれば動ける」段階(心臓が補償).R7は「もう動けない」段階(補償すら不能).崩壊の深さが一段深いのです.


Readiness 64の教訓——出発前に結果は決まっていた

Round 7の前夜のReadinessは64.これはR1〜R7で最低の数値です.

Round Readiness Zone 4 崩壊
R1 49
R2 68 なし
R3 78 なし
R5 84 7.8% なし
R6 79 20.8% 6.5hで崩壊
R7 64 ⚠️ 20.0% 6.5hで崩壊

R5(Readiness 84)は10.5時間崩壊ゼロ.R7(Readiness 64)は6.5時間で崩壊.

もちろん,Zone 4の違い(7.8% vs 20.0%)の方が崩壊の主因です.しかし,Readinessが低い日に37kmのロング縦走に挑んだこと自体がリスクだったと言えます.

補足:Readinessとは何を測っているか?

Oura RingのReadiness Scoreは,複数のセンサーデータの複合指標です.

  • HRV(心拍変動)——自律神経の回復度
  • RHR(安静時心拍)——心臓の余裕度
  • 体温偏差——炎症の有無
  • 睡眠の質——深い睡眠の割合と時間

Readiness 64は「体が十分に回復していない」という警告信号です.自律神経のブレーキ(副交感神経)が弱まった状態で出発すると,心拍が上がりやすい→Zone 4に入りやすい→グリコーゲン消費が速い→崩壊が早い,という連鎖に入ります.

「Readiness < 70の日は,予定を-10%調整する」 というルールは,この経験から私が設定した個人的な閾値です.


R5〜R7が描いた法則——Zone 4と崩壊の関係

3ラウンドの比較で,一つの法則が浮かび上がりました.

Zone 4 ドリフト率 結果
7.8% +5.0% 10.5時間持続 ✅
20.0% +30.9% 6.5時間で崩壊 ❌
20.8% +28.6% 6.5時間で崩壊 ❌

Zone 4 > 20%で歩くと,例外なく6.5時間で壊れる. Zone 4 < 10%で歩くと,10.5時間以上持つ.

この中間(10〜20%)に正確な閾値があるはずですが,Round 5と6-7の間にはデータがありません.次のRound 8(高尾北陵南陵)では,この閾値をさらに攻めます——Zone 4をわずか2.7%まで抑え込み,12時間崩壊ゼロという結果を叩き出します.


崩壊を経験した意味

Round 6とRound 7は,結果だけ見れば「失敗」です.6.5時間で崩壊し,後半は這うように歩きました.

しかし,この2つの「失敗」がなければ,第8章のネガティブスプリット戦略は生まれませんでした.

崩壊のメカニズムを理解しなければ,崩壊を防ぐ方法は設計できない.

次章では,R5〜R7の全教訓を投入した「ネガティブスプリット」——前半を意識的に遅く歩き,後半に加速する最適投資戦略——を解説します.12時間,~29km,累積~2,000mを,Zone 4 = 2.7%で崩壊ゼロで完走した記録です.


<本章の参考文献>

  1. Rauch, H. G. L., et al. (2005). A signalling role for muscle glycogen in the regulation of pace. British Journal of Sports Medicine, 39(1), 34–38.
  2. Coyle, E. F., & González-Alonso, J. (2001). Cardiovascular drift during prolonged exercise. Exercise and Sport Sciences Reviews, 29(2), 88–92.
  3. Abbiss, C. R., & Laursen, P. B. (2008). Describing and understanding pacing strategies during athletic competition. Sports Medicine, 38(3), 239–252.
  4. Noakes, T. D. (2012). Fatigue is a brain-derived emotion. Frontiers in Physiology, 3, 82.

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  1. Rauch, H. G. L., et al. (2005). A signalling role for muscle glycogen in the regulation of pace. British Journal of Sports Medicine, 39(1), 34–38. 

  2. Coyle, E. F., & González-Alonso, J. (2001). Cardiovascular drift during prolonged exercise. Exercise and Sport Sciences Reviews, 29(2), 88–92. 

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