脈拍と標高

第3章:雲取山 — エンジンの「超回復」を実証する


過去最大の山行へ

2026年3月14日,Round 3.舞台は奥多摩の雲取山(2,021m).

鴨沢バス停から七ツ石山を経て雲取山山頂へ,ピストンで戻る.距離22.3km,累積標高差は登り2,033m・下り2,024m,行動時間8時間36分.これまでで最大の山行です.

前夜のOura Ringの数字は,過去最良でした.

指標 R1(2/28) R2(3/7) R3(3/14)
Readiness 49 68 78
睡眠時間 4.9 h 6.2 h 7.3 h
HRV(ms) 16 26
RHR(bpm) 66 56

Readiness 78は3回中最高.睡眠7.3時間,HRV 26ms,RHR 56bpm——どれも過去最良.体のコンディションは万全の状態でした.


鴨沢ルートの特性——「じわじわ型」の山

鴨沢ルートは,奥多摩から雲取山に登る最もポピュラーなコースです.大倉尾根(塔ノ岳)のような一直線の急登ではなく,長い距離をかけてじわじわと標高を稼ぐルート.

前半は林道歩きと緩やかな尾根道.心拍数は07:00台で107bpmと穏やかなスタートです.Round 2の塔ノ岳では07:00台でいきなり145bpmに達していたことを考えると,これは全く異なるペーシングです.

心拍ゾーンの分布を見ると,その違いが明確に見えます.

R3 雲取山(22km):

pie title R3 雲取山 — 心拍ゾーン分布(Zone 3にじわじわ分布)
    "Zone 1(低強度)" : 15.5
    "Zone 2(有酸素)" : 29.6
    "Zone 3(テンポ)" : 33.4
    "Zone 4(閾値)" : 17.4
    "Zone 5(最大)" : 4.1

R2 塔ノ岳(13.5km):

pie title R2 塔ノ岳 — 心拍ゾーン分布(4割がZone 5)
    "Zone 1(低強度)" : 4.7
    "Zone 2(有酸素)" : 13.0
    "Zone 3(テンポ)" : 13.1
    "Zone 4(閾値)" : 27.6
    "Zone 5(最大)" : 41.6

塔ノ岳は「Zone 5の一発勝負型」——糖質を燃やし尽くす短距離戦.雲取山は「Zone 3のじわじわ型」——脂肪をゆっくり燃やす長距離戦.

同じTRIMP(≒1,300)でも,塔ノ岳は6.4時間で消化し,雲取山は8.6時間で消化している.つまり「同じ総コストを,短く激しく払うか,長くゆるやかに払うか」の違いです.

補足:Zone 3で8時間歩けることの意味

Zone 3(テンポ域)は,遅筋線維が優先的に動員される領域です.遅筋の燃料は主に脂肪.体内の脂肪貯蔵は数万kcal分あり,事実上なくなりません.

一方,Zone 5では速筋線維が動員され,燃料は糖質(グリコーゲン).体内貯蔵は約2,000kcal(500g)しかありません.

雲取山でZone 3を33.4%維持しながら8.6時間歩き切れたということは,「遅筋の持久力が8時間以上の累積標高差をこなせるレベルに達した」ことの証拠です.これは「速さ」ではなく「量」の改善——長い距離を粘り強く歩ける体になった,ということです.


EF +26%——2週間で心臓が「賢く」なった

3回のRoundを並べた結果が,これです.

指標 R1(明神) R2(塔ノ岳) R3(雲取) 変化
VAM(m/h) 197 222 236 +20%
平均HR(bpm) 133.6 130.4 127.3 -4.7%
最大HR(bpm) 157 162 162
TRIMP 1,334 1,301 1,367 ±2.5%
EF 1.47 1.70 1.85 +26%
1拍あたり登高量 24.6 mm 28.4 mm 31.0 mm +26%

心拍1拍あたりの登高量が,24.6mm → 28.4mm → 31.0mmと,毎回約6mm/beatずつ増えています.心臓が1回ドクンと鳴るたびに,体を31mm(3.1cm)持ち上げている.2週間前は24.6mm(2.5cm)でした.

注目すべきは,TRIMPがほぼ同水準(1,334 → 1,301 → 1,367)であること.心肺にかかった「総コスト」は同じなのに,「得られた標高」は大幅に増えている.

心肺コスト効率(TRIMP ÷ 累積標高)で計算すると——

1mの標高を稼ぐのに必要な心肺コストが27%減った.エンジンの燃費が3割近く良くなったのです.


壊れなくなった筋肉——RBEの完成

第1章でも触れましたが,ここで改めてデータを並べます.

指標 R1(明神) R2(塔ノ岳) R3(雲取)
下り累積(m) 1,107 1,414 2,024
体温偏差(°C) +0.38 +0.39 +0.04
body_temp スコア 74 73 100(満点!)

下りが83%増えたのに体温偏差がほぼゼロ.Ouraのbody_temperatureスコアは100点満点です.

これを見たとき,思わずスマートフォンを二度見しました.2,024mもの下りをこなした翌日に,体温が上がらない?

第1章で説明したRBE(反復防御効果)が,2週間3回の山行で完成していたのです.「壊して,修復して,壊れなくなる」——そのサイクルの終着点が,この+0.04°Cという数字です.


自律神経の「超回復」——Vagal Rebound

さらに驚いたのが,翌日のHRV(心拍変動)のデータです.

xychart-beta
    title "R1→R3 翌夜HRV(RMSSD)10分割の推移"
    x-axis ["入眠", "10%", "20%", "30%", "40%", "50%", "60%", "70%", "80%", "起床"]
    y-axis "RMSSD (ms)" 0 --> 25
    line "R1 明神" [7, 10, 11, 8, 8, 8, 10, 9, 8, 10]
    line "R2 塔ノ岳" [10, 8, 9, 10, 12, 12, 13, 13, 8, 10]
    line "R3 雲取" [15, 14, 19, 15, 14, 17, 15, 16, 19, 15]

R1は10ms前後でガタガタ.R2はやや改善.R3は15-19msの範囲で全体的に底上げされ,安定している.

過去最大の負荷をかけたのに,翌日のHRVは過去最高.

普通に考えれば「負荷が大きい → 回復に時間がかかる → HRVは低下する」はずです.予測では10ms以下まで落ちると思っていました.

補足:Vagal Rebound(迷走神経リバウンド)とは?

激しい運動の後,副交感神経(迷走神経)の活動が急速に回復し,安静時以上に活性化する現象です.

わかりやすく言うと,「体のブレーキ(副交感神経)」が,使い込まれることで性能が上がるイメージです.新品のブレーキパッドより,適度に「当たりがついた」ブレーキの方が効きが良い——そんな感覚に近いかもしれません.

負荷が増大しているのにHRVが上昇するパターンは,Functional Overreaching(機能的オーバーリーチング)からの超回復を示します1.これは「ちょうどいい壊し方」をした証拠です.

逆に,負荷をかけすぎるとNon-functional Overreaching(オーバートレーニング)になり,HRVが崩壊します.今回のデータは,3回の2日連続山トレが「ちょうどよい負荷の範囲」にあったことを示しています.


安静時心拍の底打ち——毎回深く,毎回遅く

睡眠中の心拍推移にも,規則的なパターンが見えています.

指標 R1 R2 R3
底打ちHR(bpm) 69 66 63
底打ち位置 30% 70% 90%

底打ちの深さは毎回深くなっている(69 → 66 → 63 bpm).

底打ちの位置は毎回遅くなっている(30% → 70% → 90%).

「位置が遅い」のは「回復が遅い」のでしょうか?いいえ,むしろ「より深いところまで到達するために時間がかかる」と解釈できます.浅いプールならすぐ底に着きますが,深いプールは潜るのに時間がかかる——それと同じです.

そして第2章で発見した「温泉は回復の速度を変え,深さは変えない」がここでも確認されています.温泉の有無にかかわらず,底打ちの深さは毎回改善している.これは心肺フィットネスの向上(安静時の迷走神経トーンの改善)を反映しています.


2週間で起きた3つの「適応」——まとめ

Round 1〜3の2週間で,体の中で3つの適応が同時に進行していました.

適応 指標 R1 → R3 意味
筋の防御 体温偏差 +0.38 → +0.04°C 下りで壊れなくなった
心肺の効率 EF 1.47 → 1.85(+26%) 同じ心拍でもっと登れる
自律神経の復元力 翌日HRV 9 → 16 ms(+78%) 壊れた後に戻る速度が上がった

この3つをまとめると,こうなります.

「壊れにくくなり(RBE),効率が上がり(EF),回復が速くなった(Vagal Rebound)」

人体は,たった2週間でここまで変わる.しかもこれは特別なトレーニング機器を使ったわけでも,プロのコーチについたわけでもない.毎週末に山を歩いただけです.

重要なのは,この3つの適応がすべてウェアラブルの夜間データで可視化されたということ.心拍数,体温,HRVという3つのセンサーが,体の内側で起きている変化を数字として教えてくれました.


エンジンの次は,シャシーだ

ここまでの3ラウンドで「エンジン(心肺機能)」の向上は確認できました.

しかし,心肺が強くなっただけでは十分ではありません.どんなに良いエンジンを積んでいても,タイヤがパンクしたりサスペンションが壊れたりすれば,車は走れません.

次の第4章では,エンジンの改良を一段落させ,歩き方そのもの(バイオメカニクス)の最適化に挑みます.「お尻で歩く」「忍者のように着地する」——聞くと怪しいですが,データはこの2つの技術がEFをさらに4.9%向上させ,28kmの硬い路面を膝の痛みゼロで完走可能にしたことを示しています.


<本章の参考文献>

  1. McHugh, M. P. (2003). Recent advances in the understanding of the repeated bout effect. Scandinavian Journal of Medicine & Science in Sports, 13(2), 88–97.
  2. Holloszy, J. O., & Coyle, E. F. (1984). Adaptations of skeletal muscle to endurance exercise. Journal of Applied Physiology, 56(4), 831–838.
  3. Stanley, J., Peake, J. M., & Buchheit, M. (2013). Cardiac parasympathetic reactivation following exercise. Sports Medicine, 43(12), 1259–1277.
  4. Meeusen, R., et al. (2013). Prevention, diagnosis, and treatment of the overtraining syndrome. Medicine & Science in Sports & Exercise, 45(1), 186–205.
  5. Coggan, A. R., & Allen, H. (2010). Training and Racing with a Power Meter (2nd ed.). VeloPress.
  6. Wasserman, K., et al. (1987). Principles of Exercise Testing and Interpretation. Lea & Febiger.

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  1. Meeusen, R., et al. (2013). Prevention, diagnosis, and treatment of the overtraining syndrome. Medicine & Science in Sports & Exercise, 45(1), 186–205. 

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