第1章:「スタミナ」という言葉の嘘——従来の持久力モデルが持つ致命的な死角
第1章:「スタミナ」という言葉の嘘——従来の持久力モデルが持つ致命的な死角
シリーズ: Durability:マラソン後半の失速を科学する 種別: 本編第1回
鉄雄の一言——「スタミナが足りないんだよ」
丹沢主稜を歩き終え,西丹沢のバス停に鉄雄は,30分遅れで辿り着きました.膝は笑い,ザックのショルダーベルトが肩に食い込んで赤くなっています.
ベンチに崩れるように座った鉄雄が,最初に言った言葉はこうでした.
「やっぱスタミナが足りないんだよ,俺」
金田は自販機で買った水を渡しながら,静かに聞き返しました.
「その『スタミナ』って,具体的に体の中の何が足りないの?」
鉄雄は少し黙りました.「……心肺? 筋力? まあ,全部?」
「全部,は処方箋にならないよ」 と金田は言いました.「頭痛も骨折も『体調が悪い』で片付けたら,治しようがないのと同じで」
🤔 このやりとりが,実はDurability科学の出発点そのものです.「スタミナ」という曖昧な言葉を使い続ける限り,トレーニングの精度は上がりません.2021年にMaunderらがDurabilityの概念を定義し [1],2025年にはその枠組みをさらに拡張する論文が発表されました——しかもその著者リストに,驚くべき名前が含まれていたのです.
Joyner本人が名を連ねた——Joynerモデルを超える試み
Journal of Applied Physiology に掲載されたViewpointを読んだとき,私は著者リストを二度見しました [2].
筆頭著者のMeixner,共著のSperlich,そして——Michael J. Joyner.持久力パフォーマンスの三因子モデル(VO₂max,乳酸閾値,Running Economy)を提唱した,あのJoynerモデルの生みの親です.
論文自体は「Joynerモデルの否定」ではなく「拡張」を提案するものです.しかし,Joynerが共著者として参加している事実は,自らのモデルだけでは捉えきれない領域があることを,提唱者自身が認識していると読み取れます(これは筆者の解釈です.論文中にJoyner自身が「死角がある」と明言する記述はありません).いずれにせよ,科学における知的誠実さの一つの形だと感じました.
4つの概念:「スタミナ」の解剖図
では,Meixnerらは「スタミナ」をどう分解したのか.4つの概念を,自動車のたとえで読み解きます(自動車のたとえは筆者による補助的な比喩であり,論文の表現ではありません)[2].
1. Durability
—— 長距離ドライブの燃費劣化.
時速100kmで3時間走ると,エンジン熱やタイヤ摩耗で燃費がリッター20→17kmに落ちます.Maunderら [1] が「長時間運動中の生理学的特性の経時的変化率」と定義した概念です.REの悪化だけでなく,VO₂peakの低下やsLT(閾値速度)の沈下など,複数の生理指標に現れます.Meixnerら [2] はこの概念を4分類の筆頭に位置づけました.
🤔 登山で言えば,同じ登りなのに5時間後は心拍が10bpm高い——あの現象です.序盤の心拍120bpmで登れていた傾斜が,後半は130bpmないと同じペースを維持できなくなる.ペースは同じ,傾斜も同じ,でも体の「燃費」だけが確実に悪くなっている.
2. Fatigability(脆弱性)
—— 急ブレーキの制動距離.
山道でブレーキとアクセルを繰り返すとブレーキパッドが過熱してフェードします.回復なしの連続タスクで強度変動時に崩壊する速度です [2].
🤔 縦走路で登り返しが3回目,4回目と続くと,同じ標高差100mの登り返しなのにどんどん回復が遅くなっていく——鞍部で息を整える時間が,1回目は30秒で済んだのに,4回目は3分かかる.あの「登り返しのたびに死んでいく感覚」がFatigabilityです.
3. Repeatability(反復性)
—— ピットストップ後の再加速力.
タイヤ交換・給油後に最初と同じラップタイムを刻めるでしょうか? Fatigabilityとの違いは「回復期間の有無」にあります [2].
🤔 山小屋で1時間休憩して,おにぎりを食べて水を補給した.さあ午後の行動開始——でも,午前中と同じペースで歩けますか? 休憩を挟んでもパフォーマンスを再現できるかどうか,それがRepeatabilityです.
4. Resilience(レジリエンス)
—— 嵐の中でも走れるか.
暴風雨のハイウェイでは完璧な車も本来の性能を発揮できません.暑熱・低酸素・心理的プレッシャーなど外的ストレッサー下での維持能力です [2].
🤔 真夏の低山で体感温度35℃,あるいは3,000m超の稜線で酸素が薄い.普段は余裕の行程なのに,暑さや標高のせいで全く別の山行になる——それがResilienceの世界です.
この4概念を読んだとき,私は自分の雲取山の経験を思い出しました.行動時間8時間36分.後半に足が重くなったのは,まさにDurability(経時的な生理劣化)の問題だったのかもしれません.
なお,Meixnerら自身も4番目のResilienceは「操作的に未成熟」——標準化された測定法がまだない——と率直に認めています [2].しかしこの論文はLast Word(著者応答)が掲載されるほどの議論を喚起しました.
パラダイムシフト:写真から動画へ
この4概念の意味を理解するには,「写真」と「動画」のたとえが一番しっくりきます.
従来のJoynerモデルは「フレッシュな状態の最大値」——ある瞬間の写真です.Maunderら [1] が指摘し,Meixnerら [2] がさらに展開した4概念は全て時間の関数——変化の中でどう振る舞うかを問う動画です.
マラソンは2〜5時間の「動画」なのに,選手の能力を「写真」で評価していた.これがJoynerモデルの限界でした.そしてJoyner自身が,その拡張を試みる論文に共著者として名を連ねたのです.
私自身も同じ過ちを犯していました.山行の「平均心拍数」や「平均VAM」を見て体力を評価していた.でもそれは「写真」でしかない.8時間の山行の前半と後半でどう変化したか——その「動画」を見なければ,本当の持久力はわからなかったのです.
🤔 つまり,あなたの山行データの「後半」こそが真の実力を映しているのです.前半のEFや心拍数がどんなに優秀でも,6時間後にどうなっているか——それを見ない限り,自分の持久力は正しく評価できません.
「あの選手はスタミナがない」→ この一言は4つの問いに分解できます:
- 一定ペースでの生理指標が時間とともに悪化しやすいのですか?(Durability [1])
- ペース変動に弱いのですか?(Fatigability [2])
- インターバル後半で再現性が落ちますか?(Repeatability [2])
- 暑さや標高に弱いのですか?(Resilience [2])
🤔 あなた自身に置き換えてみてください.「先週の山行で後半バテた」のは,1〜4のどれが原因でしょうか? 長い一本道でじわじわ落ちたなら1,登り返しで崩れたなら2,昼食後に復活できなかったなら3,暑さにやられたなら4.原因が違えば,処方も違います.
「スタミナ」という言葉を捨てた瞬間,トレーニングの精度が一段上がります.
金田の処方箋——「スタミナ」を4つに分けた瞬間
バス停のベンチで,金田は鉄雄にスマートフォンの画面を見せました.そこには,今日の山行データが2つ並んでいます.
「鉄雄,今日の後半で起きたことを整理しよう」 と金田は言いました.
「塔ノ岳までの一定ペースの登りで,じわじわ心拍が上がっていった——これが①Durability」
「蛭ヶ岳手前の登り返しで,3回目あたりからガクッと回復が遅くなった——これが②Fatigability」
「丹沢山の山荘前で10分休んだのに,午前中のペースが出なかった——これが③Repeatability」
「今日は気温26℃で,普段より汗をかいていた——これが④Resilience」
鉄雄は一つ一つ頷きました.「……全部,今日起きたことだ」
「そう.だから『スタミナが足りない』じゃ,どれから手をつけていいかわからないんだよ」
Maunderら (2021) が定義したDurabilityの概念 [1] を,Meixner, Joyner & Sperlich (2025) が4概念——Durability,Fatigability,Repeatability,Resilience——に拡張しました [2].鉄雄の「スタミナ不足」は,この4つの独立した問いに分解できます.原因が違えば処方も違う.金田が鉄雄に見せたのは,その「処方箋の書き方」でした.
🤔 あなたも次の山行で試してみてください.「バテた」と感じたとき,それが4つのどれに当てはまるかを考えるだけで,次のトレーニングの精度が一段上がります.
次は「測定」だ——セカンド・テストの衝撃
概念を定義したら,次は「それをどう測るか」です.
次の第2回では,46名のジュニアサイクリストを対象にした研究を読み解きます.フレッシュな状態では差がなかった選手同士が,疲労後に歴然とした差を見せる.「セカンド・テスト」と呼ばれるこの測定法の威力は,登山の後半で「崩れる人」と「崩れない人」を分ける仕組みそのものです.
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